「気」について

「気」に造詣の深い故渡邉師範の薫陶を受けた合気道家から稽古を受けているという話を前のブログで書かせていただきましたが、その中で「気」の特徴が自身の中で明確になってきましたので、ここに表現したいと思います。

※ちなみにここで表現する「気」はこのブログで表現している「プラーナ」とイコールです。

 

気を実感する中で思うのは、「気とは、心と体を動かすエネルギーであり、万物に行き渡る生命エネルギーである。」という風に感じます。

 

気は全ての人が扱えるものですが、認識しているかしていないかが非常に重要になります。まず扱えるようになり、その後に認識する事が重要のように感じます。扱えるようになる条件は以下のように感じています。

 

前提条件(気を扱える条件)

1.対人の仕事や武道等で相手のムード等を読み感じる経験を積む。

2.1の中で道徳的修練を積む。

3.何か得意な技能を1・2の中で磨く。

➡その結果としてその人の気質、技能の質に合わせた気の出し方が自然と身に付く(この段階では得意な出し方があったり、ある条件下でしか気が出なかったりと、気のコントロールが出来ていない段階)。

 

部分条件(気を認識し、扱う際の条件)

1.頭を使わない事。

2.感情を出さない事。

3.気の起点である臍を意識する事。

4.気の流れに集中する事。

➡合気道はこの部分を修練している。それにより気のコントロールが身に付く。

 

私の場合、気を扱えるようになる大きなきっかけは私の師ですが(施術ポイントが自然と解るようになった)、師から学ぶ中で道徳的修練を積み、それを施術の仕事に落とし込んできました。結果として気が養われており(治療力として顕現していた)、私は気づいていませんでしたが合気道家の方に見出していただきました。その中で私の気の特徴は

1.相手を包み込むように出している事 

2.施術の時以外は気が出ていない事 

3.相手の影響を受けないように気を受け流している事 

というのが解りました。

 

「やる気」という言葉もありますが、気は本人が「やる気」になって物事に取り組んでいる時しか出ないそうです。そして発した気は必ず自分に返ってきて、気を当てた相手の影響も受け取るそうです。私は施術を誠心誠意やろうと常に思っているので、施術になるとすごく気が出るそうです。しかし人の影響を一々受けてたら仕事にならないので、それを受け流す気持ちで立ち会っていました。なので自然と気を受け流すスタンスが身に付いていたのです。しかしそれは良い事ばかりではなく、施術の時以外は全く気が出ない事になります。また常に気を受け流しているので相手との繋がりも起きません。なので私は良くも悪くも、施術の時以外は相手に全く影響を与えない人間として存在している事に気付いたのです。

 

それは良くないと思い、まず気を出す訓練から始めました。気を出す時は臍を意識するのですが、日本では臍下丹田から気が出ると表現されます。これはアーユルヴェーダでも共通認識であり、プラーナは臍下に起こり、臍から全身に行き渡ると言われているのです。私個人としては前提としてその事を知っていたので、臍から気を出す事を受け入れやすかったのです。そして合気道家の方が、私から気が出ているかどうか確認して下さり、なんとなくの感覚から出し方を掴んでいきました。練習すればするほどその意識は明確になり、しっかり気が出ていると仰っていただきました。そうすると自分の心に大きな変化が現れました。まずちょっとした事が気にならなくなり、自分の思いを素直にスッキリ表現できるようになりました。声も芯から強く出ているように感じ、人に話す時も言葉がしっかり伝わっているように感じました。そのスタンスで人と接すると皆積極的になったり、全体の調和が取れるようになってきました。これらの変化から、これが気を出すという事か!と理解しました。そして気のコントロールを理解しないと、自分の心の癖を乗り越える事はできないと実感しました。

 

私は元々そんなに思いを人に伝えたいとも思っておらず、必要とも思っていませんでした。人は人だろうというスタンスです。それが気にも現れており、気が全く出ていない状態になっていたのです。それを周りは気が分かる分からないを別にして感じ取っており、それが周りへの影響力となっていたのです。しかし気を出す事で自然と積極的になり、心のこだわりも取れ、周りにも良い影響を与えれるようになったのです。これは気のコントロールは人間として必須の事だなと感じました。気が乗らない事でも、気を出していれば気持ちに関係なく向き合えるのです。気を出す事を先に立てたら良いのです。

心身統一合氣道の藤平光一先生や、藤平先生の師である中村天風先生は、「心が気を動かす」と表現していました。私は体験的にそれは逆ではないかと思いました。気をコントロールできれば心をコントロールできるのです。心をコントロールできれば体をコントロールできるのです。気のコントロールこそが重要なのです。

 

それはインド哲学のアシュタンガ(八支)ヨーガにも表現されておりました。

 

アシュタンガ(八支)ヨーガ

1.ヤマ(禁戒)=非暴力、真理、不盗、禁欲、慈悲、誠実、忍耐、不屈の精神、寛容、持続力、不動心、決断力、適度な食事、内外の清浄

2.ニヤマ(勧戒)=苦行、満足、敬虔さ、施し、至高神への供養、聖典の傾聴、慎み深さ、良識、ジャパ(御名やマントラの復唱)、誓願

3.アーサナ(坐法)

4.プラーナヤーマ(呼吸法、気のコントロール)

5.プラティヤハーラ(制感)=五感のコントロール

6.ダーラナ(精神集中)

7.ディヤーナ(瞑想)

8.サマディ(三昧)

 

1.2が道徳的修練です。3が姿勢です。それが整って初めて気のコントロールの段階に入ります。気のコントロールが出来れば五感のコントロールが出来るようになります。なぜなら気は思考と感情に囚われていたら扱えないからです。思考は五感と結びついています。だからこそ気のコントロールが五感のコントロールに通じるのです。それから精神集中が出来るようになり、気の大本である不動の存在に焦点を合わせる訓練を重ねる事で人格の完成・悟り(サマディ)に至ると言われています。

 

そのため、気の修練は人間にとって非常に重要な事なのです。思考に浸り五感を満たす事に喜びを感じる人間には用のない事ですが、それらを乗り越え人間の持っている能力を発揮するには、気のコントロールが非常に重要なのです。これを体得する術を持っている合気道はとても素晴らしいと改めて思ったのでした(舟漕ぎ運動が臍から気を出すのに最高に有効な運動法でした)。

 

↓ナーディ(プラーナのルート)図 『図説マルマ』(伊藤武著)P22より