「プラーナの活用」とは

「プラーナ」とは生命エネルギーの事を指しています。宇宙創造の根源的エネルギーとされており、プラーナがなくては生命活動の一切ができません。どの人にも心身の機能維持のためにプラーナが作用していますが、そのプラーナを認識して活用するには特別な訓練が必要とされています。その訓練となるのがインドでは「カラリパヤット」と呼ばれる武術であり、その武術を修める過程でプラーナを操作する能力が身に付き、それを施術に応用するのがマルマ施術です。そのためインドにおけるマルマ施術は武術家の領域におけるものであり、カラリパヤット・マスターが施す特別な施術とされています。

この事からも、マルマ施術は「プラーナの活用」が必須であり、これが出来なければマルマ施術とは言えないとも言えます。

 

ではプラーナの活用はどうすれば出来るようになるのか。私も弓道や合気道をやっておりましたが、そこからプラーナの操作を身に付けたのではありません。「アーユルヴェーダ総合サイト」の「マルマンセラピー」のページをみると、プラーナの活用のために必要な事が分かりやすく書かれているので、こちらをご紹介します。私もこのような観点で認識しています。

 

マルマンセラピー - アーユルヴェーダ総合サイト (ayurveda.jp)

プラーナの活用に至るまで

私自身、プラーナの活用を認識するようになったのは2021年の5月の終わり頃からですが、その前からも少しは活用していたと思われます。それは施術の際、見ただけでも大体の異常反応の経穴の位置に目星を付けれたり、触ったらほぼ間違いなく有効なポイントを見つける事が出来ました。それが分かるようになる最初の段階は、「マルマンセラピー」のサイトの中にもある「セラピストが自身のプラーナを滋養する方法」の1番目と4番目の項目について、本物の先生に就いて実践するようになってからでした。最初はプラーナという言葉も知らなかったのですが、確かに上記のような手応えを最初に実感しました。そこから10年近く修練と施術を重ね、2021年の2月にある大きなきっかけをいただきました。その直後はまだわからなかったのですが、5月になって患者さんの方から私のプラーナの存在を認識して下さり、患者さんの誘導を受けながら少しずつ自分のプラーナについて認識できるようになっていきました。それにより、なかなか奏効できなかった患者さんの症状が大きく改善するようになったのです。そしてそのプラーナの認識を他の患者さんの施術に応用する事で、より効果的な施術が出来るようになりました。そしてプラーナ施術と親和性が高い患者さんの違和感を感じる施術点を調べてみると、悉くマルマポイントと一致していたのです。

 

それまでも私は「アーユルヴェーダ鍼灸」と銘打ってマルマも頭の片隅に置きながら施術をしていました。しかしマルマポイントと私が普段常用している経穴の位置はほとんど重ならなかったため、マルマの意義が見いだせずにいたのです。しかしここに来て、患者さんを通してマルマの意義を知る事が出来ました。マルマはプラーナなくしては理解できないポイントだったのです。「マルマはプラーナの座である」という言葉の意味が解ったのです。

 

プラーナの活用を応用するようになってから、施術において以下のような変化がありました。

①単純に施術効果が上がりました。より即効性が出ました。

②「心も楽になる」と感想をいただける事が増えました。

③一工夫して作ったギーをセルフケア用に渡す事で、より予後の安定を図れるようになりました。

④とにかく施術が「気持ちいい」そうです。

 

より効果的で満足いただける施術が出来るようになったのは本当にありがたい事です。

プラーナ施術において重要な事

このような施術を自分が身に付けれるとは夢にも思っていませんでしたが、師、先人の知恵、親を始めとした周りの方々、患者さん、あらゆる方々の御陰様で身に付ける事ができた施術です。それを必要とする人のために還元する事が非常に大切な事と思い、縁ある方々に施術をさせていただいています。

 

プラーナの活用をさせていただいていてつくづく思うのが、「プラーナの活用は一切、自分の力ではない」という事です。「自分の力」と高慢になった時点で、この力は奪われるのではないかと思っています。より謙虚にならざるを得ないというのが、プラーナの活用だと思います。そのため武術の錬磨からくるプラーナの活用は、高慢になりやすいという欠点があるのではないかと思います。正しい師について謙虚に学ばなくては正しく身に付ける事のできない施術と思います。

 

「プラーナを活用させていただいています」と書いてる時点でもしかしたらおこがましいのかもしれませんが、私の施術を受けて改善し感動して下さった患者さんが見出して下さったものなので、きっと間違いないだろうと思い、ここに表現している次第です。ここでの表現を通して必要とされる方に伝わっていただいたら幸いと思っています。